Getting Ph.D in America! ?現在、日本からアメリカへの留学というのは、おそらくほとんどが企業や官庁に派遣されて、ビジネススクールやロースクール、公共政策などの専門職大学院に1〜2年ほど在籍する人、もしくは日本の大学に職を得てサバティカルで来る人が大部分かと思います。私は留学前に留学予備校に二つ行き、アメリカで三つの大学に所属しましたが、文系でドクターを取ろうとしている人は本当に少数…。私自身、留学する前も現在も寂しい思いをしているのが事実。留学前は情報があまり入らず苦労しました。特に留学経験もコネもなかった私の場合、アメリカの文系博士に入るのは、主観的にみると東大に入ることの5倍くらい大変でした(笑)
そこで、このページでは私自身の経験に基づき、これからアメリカの文系博士課程に行こうかなと思っている人、既に行っているたちに何らかの役に立ちそうなことを書いていきます。 |
Application |
私は現在アジア研究科にいますが、合格したのは社会学と人類学の博士課程だったので、その2つを念頭に置いています。私は合格先のアメリカの大学からの奨学金をもらいましたが、フルブライトやその他日本からの奨学金受給が決まっていると合格確率は高まると思います。
人文・社会系の博士課程中退率が高いとはいえ(プログラムにもよるが、3〜4割くらい辞めるところもある)、博士課程に合格すること自体もとても大変です。そもそもある程度名の通ったプログラムは、入学の時点で5年分の授業料免除+生活費支給が確約されることがほとんどなので、学生を取る方も細心の注意を払います。ミシガン大学がくれる生活費では、実は大学のある街アナーバーでは貧困ラインなのですが、奨学金という名のローンが年々増えて行った東大時代に比べると待遇は雲泥の差です…。日本はもっと大学院生への支援を手厚くするべき(大学院に関していうと、東大にいたときは外国人留学生への支援が日本人に対してよりも手厚い印象を受けました。もちろん全てのケースではないですが)。 恥ずかしいながら告白すると、私はPh.D Applicationに二回失敗(全落ち)しています^_^; 一度めは東大の修士2年生の時、もう一度はボストン大学の修士の2年目の時です。実はPh.D Application全落ちはアメリカ人学生の間でも非常に多い(!)があまり語られません。まあ、自分の失敗ってあまり公にしたくない気持ちもあるでしょうが。 1. そもそもTOEFL100で苦労する英語レベルでは厳しい TOEFLは100-105以上必要。GREは低いと「落とす」要素に使われることもあるそうです。1度めの受験の時は、なかなかTOEFLのiBTで100が超えられず、全体的に書類作成のプロセスが遅れてしまいました。サンプルライティングが間に合わずに、文献リストだけ送ったところも…今考えるととんでもないことである。確かGREのVerbalが400/800行かなくて、「もっとGREをあげた方が良い」とフィードバックを(不合格後に)個人的に頂きました。別の大学では、GREの点数は奨学金分配の優先順位を決めるのに使われるということ。ただ、400いかなくても奨学金つきで上位校に受かったケースもあります(私)。 で、そもそもアジアからの留学生の場合、英語ができないのは皆わかっているので、少なくともTOEFLで良い点を取らないとダメなのかも。特にティーチングに関わってくるので、1年目からティーチングが要求されるところは要注意です。私自身も含め、入ってからも英語ができないと大変な苦労をします。極端な話、学部がアメリカじゃない日本出身者は全体的に苦労している様子です。ある程度年をとってから英語圏に来ると、才能のある人を除き、英語のハンディは一生付いて回るので。 2. 研究テーマは入学後変わるが、コアな理論的関心、方向性はしっかりと据えるべき 東大にいた時はどちらかというとAsian American Studiesに興味があったので、人類学のdiscipline的に合わない感じでした。いろいろ調べていくうちに、Asian American Studiesは副専攻とかにはできるけど、それだけで博士論文を書くのは難しい模様。そこでやっぱり日本出身者は日本研究で攻めないとダメかなとも考えました。ただマイノリティ研究という枠組みは、分野が変わっても様々な形で生かせます。その後、○ストン大学にいた時は、日本語のティーチングが忙し過ぎて、まともに本を読んだり書いたりするのはとても難しかったです。特に1年目は英語もできず、あまりセミナーの内容を吸収していなかった気がする。なので理論的関心を詰められず、ステートメントが弱いのは明らかでした。 3. 人文・社会系の場合、留学生が学部や修士をアメリカで取らずに博士に入学するのは至難の技 これは実際に博士課程に入ってからわかったことですが、アジアからの留学生の場合、大抵皆学部か修士でアメリカの学位をもっています。これは1で述べた英語の問題もあるし、分野への親密性にもよるのかも(人文、社会系は多分国によってフォーカスやお作法が結構違う印象)。ちなみにアジアからの留学生で、自腹で修士をとってもその後博士に進めなかった友達も何人かいました…。やはり所属学部にスポンサーになってもらうので、学部や修士に入学するよりも難易度がぐっと高くなります。 また、中国や韓国の大学に比べて、日本の大学の文系学部、特に国立大学では、アメリカでPh.Dをとった教授が少なく(例えば韓国の延世大学の人類学部教授陣はほぼ全員アメリカでPh.D。それがいいか悪いかは別として)、推薦状の書き方などに馴染みがある先生が少ないのではないでしょうか。一部、アメリカ研究などは例外です。日本の研究者間でも、アメリカでPh.Dを取ることがキャリアパスとして求められています。最近は日本の大学でも、アメリカPh.D取得者が増えてきているのかもしれませんが(「グローバル人材」との兼ね合い?)、これはコネクションの有無が結果に影響する(後述)のとも関係してきます。 振り返って、なぜ三回目の応募で合格をいくつかもらえたかと考えると… 1. Statementが強くなった 結局私は修士が2つあったし出版実績もあったので、どうしてもそちらを強調してしまい、研究の発展性についての部分が弱くなってしまう傾向が…。夏のある日、大学のオフィスでうーんうーんとstatementを書いていると、知り合いの教授がふらっと部屋にきて、研究内容について会話。細かいことは忘れたんだけど、それがbreakthroghになったのは確か。研究内容について会話するの、自信なくて結構避けていたんだけど、「話す」ことは大切だと再確認。そしてこの時点でアメリカに2年いたので、英語で書く力も徐々についてきていました。 そして、留学する前はあまり考えていなかったのですが、日本出身の人であれば日本語を使って日本について研究することが期待されます。英語が第一言語であるアメリカ人にとって、日本語は非常に難しい言語です(それはつまり、逆も然り)。日本語がネイティブであることを利用できるかできないかで、有利さが変わってきます。特に英語のハンディがある場合は尚更。アメリカで博士取得後教授職に就いている文系の研究者の中で、日本語教授法、日本研究に関わっている人の割合は多いです。たまに、アメリカに行って日本研究を、日本出身の私がやっていることを「意外」と受け取られることもありますが、アメリカでのマーケットバリューを考えれば実は妥当な流れ…。ですのでステートメントでも、日本語がネイティブであること、そしてアメリカで修士を取り英語でも研究遂行が可能であることを述べました。 変な話、私はアメリカにいれば日本のことを聞かれ、日本に帰って来ればアメリカでの様子を聞かれることが多いです。自分がどこにいるかで、必要とされる知識は変わってきますよね。 2. コネクションができていた 私は南部のF州にあるプログラムにトップ合格し、とても良い条件の奨学金のオファーをもらいました。地域や院生の雰囲気などいろいろと不安要素が多く、結局は辞退したのですが、キャンパス訪問をした時に、「○○教授からの推薦状がとても強かったのがあなたを推す決め手になった」と選考委員長から言われました。実はその教授二人は友達で、たまたま私の理論的志向とも共通点が多かったのも貢献したのかなと思っています。 あと、A大学の場合、昨年不合格になったあと、私を当時電話面接した教授にメールをして、どこがダメだったのか教えて欲しいといったところ、丁寧なメールが帰ってきました。そして再度応募する際に、新しいstatementを見てくれないか連絡したところ、なんとOKの返事。「私は今年はサバティカルだし、アプリケーションにはなんの影響力も持っていないから、そのへんのところよろしく」みたいなことがメールに書いてあったのですが、結局その教授と後日電話面接。聞くと私の書類がその教授に回されていたらしい。結果は合格。 そしてB大学(○ストン大学)の社会学部では、修士を卒業したあともトークイベントに出席して質問したり、その学部の教授に私が書いたものを見てもらったりしていました。あまり頻繁にはできませんでしたが、しないよりは良かったように思います。ここは結局補欠の1番で、すぐに繰上げ合格となりました 。給料も高く、ティーチングの業務も格段に軽く、しかもボストンだったのですが、留学生としての将来性などいろいろな人に相談した結果進学は見合わせることにしました。 C大学は奨学金なし合格(奨学金受給は補欠)で、入試担当の教授とメールをやりとりしたのですが、その教授が私がすでに合格した別の大学院出身(ランク的にはC大学<合格した大学)で、まあ〜あそこに受かったらうちは別にいいんじゃない?的に匂わせてきたこともありました。笑 3. 運も味方してくれた? ただし、運の要素も非常に大きいことも付け加えたいと思います。特に社会学や歴史学に比べて、人類学は毎年5人しか取らないようなプログラムも多々あります。そうすると、今年は中国をやっている学生を1人、イスラム圏で1人、ラテンアメリカで1人、アフリカで2人、などと事前にざっくりとした枠が決まっていることもあります。それは地域別だったり、分野だったりします。ですのでどうしてもA大学の人類学科に行きたくても、その年に入学することが事実上不可能だったりすることもあります。まあ、そんな枠を吹き飛ばすくらいの優秀な応募者がいれば別かもしれませんが…。ちなみに他の博士の学生で「自分も一度全落ちしたんだけど、結局Statementあまり変えずに再応募したら受かって、何が違ったのか今でもわからない」と言っている人もいました。 運といえば、入ってから教授がいなくなることも結構あります。私はミシガン大学に来たのも、指導教員の異動にくっついて来たから。しかし誰もができるわけではないので、指導教員がいきなりいなくなり、その後の院生生活が非常に難しくなったというケースも多々聞きます。これは本人の力ではどうにもならない問題ですが、実際問題、指導教員がいなくなった後で卒業まで漕ぎ着けた例は、私の知る限り稀です。 実は私はD大学の人類学部に本当に行きたくて、三回応募しました。結局入れなかったのですが、その大学で一緒に働きたかった教授2人は、様々な事情により現在はもうその大学にいません。今から考えると、そこに行っていたら大変だったと思います。あと、辞退することを伝えて初めて、「実は私他大学に移ろうかなと考えてるんだよねー」と教えてくれた教授もいました。 意外と人間くさいプロセスでしょうか?ちなみに私の修士は2つとも文化人類学ですが、三回目の応募の時に初めて社会学部にも複数応募しました。合格率(応募した数に対しての合格率)はなんと社会学部の方が良かったです。東大にいた時も、社会学部のU教授のゼミに出ていましたが…。分野の大きさも関係しているのかもしれません。 |
phd student life |
随時加筆…。Ph.D Candidateになってからは、以前よりも自由度が増えて(私にとっては)随分と楽になった気がします。
Jorge ChamのPiled Higher and Deeper (Ph.D Comics)が院生生活の様子をよく表しています。 同じミシガン大学のSchool of Information博士課程をやっているKanotさんの記事。とてもよくまとまっています!海外PhDに興味を持ったら最初にするべきこと。 |